「ナミビアの砂漠」感想 複雑さをそのまま描く

 

 

一見淡々と進むストーリーに見えて主人公の超絶複雑な心理を描写してる作品だった

 

 

原因を一つの何かに集約させない作り

主人公は中盤、精神科医から躁鬱もしくは境界性パーソナリティ障害と診断されるが、今はまだどちらかわからないと言われる。

どちらかはっきりしないし、どっちもかもしれない。

主人公が具体的に何の精神疾患にかかっているか、はっきり示されない。

 

親の存在もまったく描写されない。

彼氏と喧嘩し、お前には実家があっていいよな!と吐き捨てたり、精神科医との会話で家族との関係についての会話だったり、心理カウンセラーからの、なぜロリコンの例を思いついた?という質問などなどから、主人公は親からのネグレクトを受けていたと思われる。

 

全てをはっきりさせずに曖昧なのは、1つの精神疾患問題を集約させないためだと思う。

主人公が仮に精神科医に言われていたように躁鬱だとして、

主人公が今の彼氏に鬱憤をぶつけるのは、主人公に背を向けて仕事をし続ける様子が父親と重なったとか、元恋人の赤ちゃんを中絶させた彼氏の子供の命に対する興味のなさが、自分の父親を思い出させたみたいなことが考えられ、だから躁鬱になり感情を制御しないで彼氏に当たり、彼氏の方も主人公を心の底から理解できていないので、激しく反撃してしまう。主人公の精神状態も悪くなる。

こう何かしらの病名や原因を探し出して一つ解決すれば万事解決みたいな心理描写にするのではなく、色々な要因、心の問題や人間関係、社会的な問題が絡み合って主人公の複雑な性格はできあがっているのだと思う。

 

 

 

 

 

 

男には理解できない

今作に登場する男キャラは総じて自分にしか興味がない。

主人公のロン毛の元彼氏は主人公に執着します。主人公が逃げ出すと泣き出すくらいにです。ロン毛は主人公のことを理解してると何度も言いますが、主人公の複雑な心理が理解できてるはずもなく、それを聞いた主人公はわかった気になるなとさらに怒りに拍車がかかる

主人公の今の(元不倫)彼氏もそうです。

ごめんと言えば解決すると思ってる節があります。ごめんの、なぁなぁ性ってありますよね。彼なりに理解しようとして色々考えるも、やはり理解できない。ごめんで思考を停止して、それでも喧嘩が終わらないと1人になりたいとアパートから出て行ってしまう。対話がないですよね。一方的です。

彼氏の赤ちゃん中絶の話の罪滅ぼしとして、脚本を書く様子も、過去の行いと書いてる脚本の内容が真逆で、欺瞞性に溢れた行動を主人公は許せないんでしょう。

その後、男の精神科医に診断してもらいますが、ずいぶんと雑な診察でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

自他境界ゆるゆるな2人

それでも主人公と彼氏は別れない。

クソほど喧嘩したあと、ちょっと一息してお腹すいた?と飯を食うみたいな謎の関係になっています。

序盤からこの2人は自他境界の薄い2人だと思ってました。1つのトイレで一緒にションベンするくらいですからね。カップルでもなかなかハードコアですわ。

どれだけ喧嘩して暴力を振るいあっても付き合い続けるのは、主人公は、幼少期のネグレクトから愛着障害があり自己肯定感が低い、寂しいから彼氏に依存してしまい、彼氏も主人公にある種依存してしまい共依存のようになってしまっているとも考えられますが、いかんせん説明がないので、憶測でしかないです。

 

 

 

 

 

 

唯一気持ちが理解できるかもしれない人

主人公の苦しみは幼少期の性的なネグレクト(推測)や冒頭の男に吐かれる暴言など、女性故の苦しみが背景の一つにあると思います。

だからなのかわかりませんが、理解しようとしない、しようとしてもできない男キャラに比べて、登場する女性キャラ(心理カウンセラー、隣人)は主人公に寄り添うことができ、主人公も彼女の話を聞き入れます。(心理カウンセラーの質問にまじめに答え始め、認知行動療法の効果が出始め?ます)

隣人の人に、わかるって言われるのが嫌そうな顔をしてるけど本当は嬉しいでしょ?と言われていましたが、理解しがたい主人公の行動や心理を理解してくれる同性の理解者が欲しかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

徹底した主観描写

冒頭主人公が友達との会話で話題に興味がなくなると、音が会話ではなく周りの環境音やモブ達の会話にフォーカスが当たるようになります。

謎の主人公脳内ランニングマシーンのシーンでもイヤホンを取ると、その取る瞬間の音というのが再現されています。

心理カウンセラーに話を聞いてもらうシーンの後、彼氏の会話シーンが続きますが、以前と異なりロングショットが使用されています。そして謎の脳内ランニングマシーンのシーンでロングショットで喧嘩してる自分たちを主人公がスマホで見ています。

なんやねんこのシーンって感じですが、認知行動療法がそこそこ上手くいっていて、暴走する感情とそれに身を任せる自分をランニングマシーンで走り続ける自分に見立てて、そんな自分をスマホでみる、自分を客観視できるようになったというシーンだと自分は捉えましたが、ここはよくわかんないです。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

社会の隅っこで生きる、何を考えてるかわからない人の生活と感情とその複雑さを描いていますが、単純なレッテル貼り、例えばトー横キッズはなんちゃらみたいな雑な単純化をせず問題は複雑で、その複雑なものをそのまま描く。

観客はそれをただ見ることしかできませんし、100%感情移入させない作りになっています。

主人公やその周りの環境について、この映画を見ただけでは推測の域を出ず、観客も100%主人公を理解することはできません。

 

ラストシーンの会話、主人公かスマホで見てるナミビアの砂漠と動物の動画については色々考えたんですけど、よくわかりませんでした!

 

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